嵐の前の静けさとはよく言ったものだ。

後悔なんて愚かで意味のない真似など・・・したくはないけれど、

それでも・・・今となってはあの時、君の腕を引き止めればよかったと、



深すぎる紅色をした君の鮮血を目にして、

眩むような感情に身を焦がしているんだ・・・。














―第夜―

















「・・・ん・・・」



遮光性のカーテンの隙間から零れた陽射しに刺激され、心地よく眠りが浅くなっていく。

ピクリと痙攣してから、ゆっくりと重たい瞼が開かれた。



「ん・・・っ、・・・んぅー・・・」



一度、やわらかい枕に顔を擦り寄せてから、両腕をぐいーっと伸ばし、のそのそとベッドからはい出る。

ふかふかで大きな枢のベッドには少し足をとられた。


床の冷たさにピクリと身体を震わせたものの、昨日の体調の悪さが嘘のように、晴れやかな気分と軽やかな体がここにはあって、自然と機嫌もよくなり思わず笑みがこぼれた。



「・・・枢ー・・・?」



姿の見えない彼の名を呼びながら、近くに掛けられていたブレザーを羽織り、リボンは・・・ポケットに突っ込んだ。



「かな・・・」



歩みを進めた先、隣の部屋のソファに彼はいた。

薄暗い部屋の中央、横になり両の瞳は閉じられている。



・・・そうだ。彼等にとって今は睡眠の時間。

眠っていて当然。



くるりと無言で踵を返し、一度自分の借りていたベッドに戻ると、毛布を抱いて枢の元に近付いた。

そっと起こさぬようにそれをかければ、綺麗な寝顔にかかった長い前髪がさらりと流れる。

思わず、枢に、見入った。



「・・・・・・」



すっと頬に掌を寄せ、精巧で端整なその顔を優しくなぞる。

昨夜爪を立てた首筋に、傷の痕跡など微塵もなかった。



「綺麗だね・・・枢。枢は綺麗過ぎるよ・・・」



そんな枢の心を汚しているのは私だ。

癒えない傷をつけたのは私だ。



ずっとずっと・・・大好きな枢。

私の大切な存在。

私が縛り続ける、憐れな・・・




「・・・っ。・・・ありがと、ね、枢。いつかきっと、枢を自由にするから。私から、開放する・・・から。だからっ・・・・・・ごめんね」



意味のない独白は、静かな部屋に溶けるように消えてしまった。

残ったのは時計の針が刻む確実な時間の流れ。

止めることも、戻すことも叶わぬ、絶対的な流動。


それはたった今、正午を迎えようとしていた。




「・・・・・またね。枢・・先輩」



そっと枢の頬から掌を離し立ち上がると、音を立てぬよう枢の部屋を後にした。



夜に侵されている私はまだ、昼の世界に帰ろうとする。

なぜ?

どうして?

答えは・・・守りたい存在がいる、から。






―パタン―・・・









「・・・・・・、・・・離さないよ。君を手放すことなんて絶対に、しない」



タイミングを狙ったように、ゆっくりと瞳を開き、枢はの出て行ったドアを見つめた。

微かに響き遠ざかる足音が妙に切なく胸を締め付け、その音に耳を傾けながら、くしゃっと髪を掻き上げた。





本当は離れゆくその腕を掴んで、強く強く抱きしめたい。


僕に触れたその小さな手に口付けをし、愛していると囁きたい。


昼に帰る君を、完全なる夜に染め上げ・・・僕だけのものにしたい。



君の思考を奪うその存在を全て・・・・・・消してしまいたい。






「・・・・・・駄目だな」




そんな愚かなことをが望むはずがない。

これはただの、僕の欲。



重たく息を吐き出し、瞳を閉じる。

こんなにも気持ちが揺さぶられるのはなぜなのか。





から感じる自己嫌悪と不安。


錐生から感じる“その時”の気配。


なにも知らない優姫の未来。





「・・・・・・」






嫌な・・・胸騒ぎがする。



何かが変わる。


何かが動き出す。




その、前兆・・・か。




止められない流れを、


必死に止めていた代償。


それが今、降り懸かるというのか・・・






「・・・・・・馬鹿らしい、な」





それを易々と受け入れるほど、僕はお人よしでも、無力でも、ない。


止められないのなら、流れは必ずいい方へ。









・・・どんな手段を使っても。









閉じた瞳を開けることはせず、そのまま引きずり込まれるように睡魔に身を委ねた。

浅い眠りはやがて深いものに変わり始め、思考は回転を止める。



















次に迎える夜の出来事はまだ、


誰も知らない。



















































「本日も学業お疲れ様でっす」


「!・・・!!」


「!」



夕暮れになりガーディアンの仕事に出掛ける二人を待ち伏せれば、思った通りの反応をしてくれて、思わず笑みが零れた。



「どこ行ってたの!!朝も部屋にいなくて・・・心配したんだからね!?」



私の元に走り寄った優姫は怒っているような、安堵しているような複雑な表情を浮かべて言った。



「優姫・・・ごめんね、心配してくれてありがとう。医務室に行ってから理事長の所に居たんだ」



そんな優姫の言葉が素直に嬉しくて、私は優姫の頭をポンポンと撫でた。



「サボリ魔が。罰として今日の仕事、一人でやれ」


「えぇ!?」


「・・・嘘だ、馬鹿」



優姫の後をゆっくりと近付いてきた零は、意地悪くそう言った。



「こんな事言ってるけど、朝は零の方が慌てふためいてたん・・・いたっ!!」


「う、うるせぇ!!余計な事は言わなくていい!」


「叩くことないでしょ!?」


「へぇー、零はやっぱり優しいねぇ」


も黙れ!」



少し顔を赤くして怒鳴る零がおかしくて、優姫と手を繋いで走り出しながら、



「零、やっさしー!」

「ツンデレー!」



なんてからかって叫んだ。



「・・・お前ら、・・・・待て!!」



そんな二人を猛スピードで追い掛け出す零。

二人の笑い声が賑やかに響き、夕暮れの黒主学園には平穏で優しい時が流れた。















































「つ、疲れた・・・!」


「零のせいでクタクタだよ・・・」


「お前・・・よく言うな・・・」



零のせいで(全くもって俺のせいじゃない)始まった追い掛けっこは、月の寮が開くギリギリまで続き、うっかり仕事に遅れそうになってしまった3人。

何事もなくナイトクラスの移動が済み、ほっとするのもつかの間、これからは見回りがある。



「ったく、昨日はあんなにへろへろして大人しかったくせに・・・。は元気になり過ぎだ」


「ん?うふっ、ごめんあそばせ」


「・・・・・・」


「いひゃ、いひゃいっ!」



くねっとしながらふざけて言えば、零に無言で両頬をひっぱられた。



「このやろ・・・無駄な心配かけやがって!!」


「いひゃ、ひょ、零っ」


「・・・・・・。・・・また辛くなったら、ちゃんと頼れよ」


「へっ・・・?」


「・・・勝手にいなくなったりするんじゃねぇ」


「・・・零。・・・・・・ありがとう」



真っすぐな視線と不安げに寄る眉間が、零の真剣さを物語っていて。

私は小さく微笑み返した。



優しさが、嬉しいのに・・・。

・・・胸の奥が痛くて、苦しくて。



零に嘘をついている罪悪感と、嫌われたくない・・・知られたくないという思い。

そして零の迎える“時”を思い、自らの手をぎゅっと握り締めた。




「・・・・・・」


「・・・優姫?」



二人から少し離れた場所で、ナイト・クラスの講義が行われている校舎を見つめたままの優姫を不思議に思い、声をかけるが・・・反応なし。

零と顔を合わせれば、零は呆れたように溜め息をついた後少し声を張った。



「・・・玖蘭枢は今日も元気か?優希のヒーローは」


「!! ・・・べっべべべつに枢センパイだけを見てたワケじゃないわよ。

よしよしっナイト・クラスの皆さんは今夜も品行方正!デイ・クラスの夜歩きさんもいないみたい!!」


「「・・・・・・」」


「うん!平和で静かな夜!学内の風紀に乱れはありませんっ」


「・・・もう。優姫ってば」



途端に言い訳ねように早口に話をまとめた優姫に、小さく苦笑。

少し頬を染めてごまかすように笑う優姫からは、純粋に枢への好意が見てとれて・・・また胸が痛んだ。



「・・・理事長は、夜間部の連中は平和主義に賛同した“いい吸血鬼”みたいな言い方をしてるがな・・・」



急に空気が冷たくなったような、錯覚。

憎悪に満ちた零の声音に、その場は空気はピンと張り詰める。



「俺は信じない。絶対に気を許さない」


「・・・・・・」


「・・・そこまで思ってるのに、なんで大人しく理事長に協力してるんだか・・・あ」


「・・・言っただろう。あの人の形をした獣どもの一番効率のいい倒し方を見つけるためだ」


「・・・・・・っ」



憎悪に加えて殺意も含まれたその声と、放れたれる雰囲気に押され、優姫も私も声は出さない。

ただぎゅっと自らの手を握り締めた。



「中を回る」



歩き出しながらそう残し、零の姿はゆっくりと見えなくなった。




・・・初めてじゃない。


何度となく聞いた零の吸血鬼に対する強い憎しみの思い。


何度となく聞いた嫌悪の言葉。


何度となく聞いたのに・・・、なのに、今も、





・・・こんなにも恐い。




いつかその射るような冷たい眼差しが自分へと向けられることが、とてもとても・・・。






「・・・・私も適当に回るね」




何かを思案しているのか、上の空の優姫に小さく声をかけ、その場を離れた。













2007.04.27:名前の漢字ミス修正いたしました。申し訳ありませんでした!


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